番外編 廃止駅2
平成18年3月18日廃止駅



宗谷本線智東駅
開駅:大正13年6月1日

元は有人駅だったが、駅一帯の集落が離農により無人の地になり、昭和61年に無人駅に。その後の木造無人駅の取り壊しにより、車掌車改造の待合室に置き換えられた。上段左1・2番目の写真にあるように辺りには建物は全く無く、冬季間通行止め。存在が不思議な駅ではあった。ホーム上にあった観光地案内標は、「スキー1時間30分」「徒歩1時間30分」などといった私には大変疲れそうな案内であった。
下段左1番目写真は、中段左2番目写真のホーム上建物に付いた財産標である。職場3号のため他に最低2つの建物が存在していたらしい。また隣駅の駅名標も廃止後は変更されるため、載せておく。

下段左2番目の貴重な写真は、車掌車待合室に展示されていたものを撮影したものであるが、著作権等の関係上問題ありましたら速やかに消去いたしますのでご連絡下さい。


宗谷本線南下沼駅
開駅:昭和32年2月1日仮乗降場 昭和62年3月31日駅に昇格

この駅の訪問時には、廃止になるなどとは夢にも思ってはなく、国道から入っていく草生した小道など、今となっては本当に撮影していないのが残念だ。駅名標さえも撮影していなかった。この駅は板張りの昔からの乗降場タイプであった。隣駅幌延駅の駅名標は車で訪れたため撮影していない(有人駅のため駅構内に立ち入っていない)。


札沼線中徳富駅
開駅:昭和31年11月16日

この中徳富駅というのは、元々隣駅新十津川駅が当初名乗っていた名前である。
この駅は特に印象に残るようなものでなかったため、最初の訪問時は一枚の写真しか撮影していなかった。その他は廃止決定後の撮影のため、雪の無い時期の全体を写したものが無いのが悔やまれる。ここでも両隣駅の駅名標を載せておく。


函館本線張碓駅
開駅:明治38年10月8日 

言わずと知れた有名な駅である。様々なサイトで訪問を試みた報告があるが、私には到底それが出来なかった。と言うわけで、この写真は残念ながら、車窓からのものである。左1番目は駅接近の駅名標であるが、ピントが合ってないため全く読めない。廃止後駅舎は解体されるのであろうか。


石北本線新栄野駅
開駅:昭和21年12月1日仮乗降場(当初は野上仮乗降場だったらしい) 昭和42年11月15日新栄野仮乗降場 昭和62年3月31日駅に昇格

ここも板張りの簡素な駅である。隣の遠軽駅の駅名標には何故か記入されていないものがあった。


室蘭本線旭浜駅
開駅:昭和18年9月25日信号場として開設 信号場廃止し昭和44年9月20日仮乗降場へ
昭和62年3月31日駅に昇格

今回の廃止になる7つの駅のうち、旭浜駅だけ撮影を逃していた。そのため廃止一週間前に訪問し撮影したのがこの写真である(その時の様子は旭浜駅への旅へ)。雨でとても寒く、他に訪問者を期待していたが、この時は私だけであった。この駅は待合室などなく(それらしきものはあるが鍵がかかっており違うようだ)ホームのみの駅だが、しっかりとした石積みのものである。


留萌本線東幌糠駅
開駅:昭和38年12月1日仮乗降場 昭和62年3月31日駅に昇格

この駅は駅名標が国鉄様式のままで味わいがあった。国道側にひらがなのみで書かれているのも良かった。両隣駅の駅名標を載せようと調べると、峠下駅の駅名標を撮影したものが無い・・・。何度も訪問して駅舎駅構内構造物、かなりの枚数撮影しているが、なんと駅名標をまともに一枚も撮影していない。ショックだった・・・。

このコーナーを作成して、今後は細心の注意を払って撮影を心がけたいとつくづく思いました(後悔しないように)。
という訳で後悔しないように最終日東幌糠駅発の最終列車(下り)に乗車してきました。両隣の駅名標もその時に撮影。最終のキハ54が近づいてきた時は、本当に寂しい思いがした。



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