函館本線旧線 近文〜納内


近文―伊納―神居古潭―納内

明治31年7月16日に開通したこの区間は、当初北海道庁鉄道部により敷設された官設鉄道であった。景勝地神居古潭を通過し、石狩川に沿うように路線も急カーブの連続するものであった。スピードアップ化のネックとなっていたため函館本線複線電化工事にあわせ、昭和44年9月、5つの連続するトンネルの完成により神居古潭駅と共に廃棄された。
現在は旭川市のサイクリングロードとなっている。



ホームに昭和初期の待合室の残る近文駅。伊納方へ向かうとすぐ左手側に旧線は分岐していた。
複線電化された現在線と分かれた旧線跡は、築堤となって現れる。写真はサイクリングロードから近文方を振り返り撮影。
廃線跡は廃止2年後に旭川市のサイクリングロードとして整備された。サイクリングロードは起点から1キロほどは堤防の築堤を使用しているが、上の写真を撮影した位置から廃線跡と合流する。そして程なくしてオサラッペ川を渡る。その橋梁は嵩上げされ改修されているが、下には明治時代のレンガ橋台が残されたままであった。
その古びたレンガ橋台。
切り替えとなった現在線は、嵐山をトンネルで貫き伊納駅へと向かう。旧線の方は石狩川に沿うように敷設されていた。旧線を利用したサイクリングロードを自転車で走っていると、今にもSLの汽笛が聞こえてきそうだ。所々にSL時代の煤けた擁壁が残っている。
やがてトンネルを抜けてきた現在線と旧線が沿い始めると伊納駅が近づいてくる。
サイクリングロード脇には、単線時代の伊納駅ホームが草生しながら残っていた。
近文方を振り返り撮影。
写真の道路正面に旧伊納駅本屋はあった。
車掌車に置き換えられた現在の駅舎(待合室)は、跨線橋すぐ下に移動している。
現在の伊納駅ホームと旧ホームの間には、どういう訳で在るのかわからないレールと架線、踏切がある。
伊納駅を出ると現在線は右へカーブし、新トンネルへ向かうが、旧線は再び石狩川に沿いながら緩やかにカーブし、旧伊納隧道へ向かっていく。
トンネル手前には、ここにも古びた擁壁がある
(トンネルから伊納方を振り返って撮影)。
伊納駅を出て1キロほど行くと、旧伊納隧道が現れる。
サイクリングロードのトンネルとして利用されている旧伊納隧道は、内部の崩落によりしばらくの間通行止めであったが、現在内部を頑丈にコンクリートで補修し開通している。
旧伊納隧道石狩川側には、大正から昭和期にかけて廃止されたと思われる旧々線があり、建設当初のレンガ造りの重厚な旧々伊納隧道(第二隧道)が眠っていた。
その隧道の近文側ポータルの要石には、北海道庁鉄道部の紋章「動輪」が象られいた。要石の残る隧道自体が希少になる中、これは歴史的にも貴重なものではないだろうか。
隧道ポータル付近には崩れ落ちたレンガが転がり、それを良く見ると「K」や「H」の刻印がある(何を意味しているかは不明)。
反対側へまわり納内側の要石を確認すると、旧旭川車両センター跡地に今ものこる、明治32年建設レンガ造りの工場入口アーチ要石の紋章と同じように「北」である。この工場の材料が当時神居町台場にあった北海道庁鉄道部のレンガ工場で造られたものであるため「北」の文字を象っていると言うことから、これも又同じだろうと想像出来る。
その要石「北」。建設当時の上川線に対する北海道庁鉄道部の、力の入れようが垣間見られる、残された資料ではないだろうか。
旧伊納隧道を抜けるとすぐ鱒取川をわたる。そこに残る橋梁もサイクリングロードの橋として転用されているが、その下部にはガーダーとレンガ橋台が残ったままである。
ガーダーとレンガ橋台。
ガーダーの塗装表記。現役時代の昭和38年となっている。
レンガ橋台は何故か複線分の幅があるが、石狩川から見て反対側の橋台部分が、先ほどの大正期の路線変更による付け替えられた箇所ではないのだろうか。また、2006年5月調査時にはガーダーが再塗装され色も変更されていた。
再塗装の塗装表記。
サイクリングロードには所々小さな下水渠が何カ所か残っている。
上記掲載写真の下水渠は、銘板を見ると「413キロ407メートル000下水渠」らしい。
鱒取川から少し進んだところに残る擁壁。
その銘板。
その付近に残された小さな橋梁も、2006年前後に手すりなど改修されていたが、その下部に残されていたIビームはそのままで、銘板も残っていた。
下に残されたIビーム。
銘板は、幾重にも塗装された塗料の厚みにより判読に苦しむが、その様子からは貴重なものであることは間違いないだろう。
その先にある擁壁。
その銘板。
その先の橋梁、ここもガーダーが最近再塗装されたようだ。手元に資料が無い事と、塗装表記が確認出来ずほとんど橋梁名が判らないでいる。
塗装されたガーダー。
さらに先に残っている橋梁。
ここはまだ改修されていないようで、橋の欄干の塗装が剥がれ錆び付いている。ガーダーやレンガ造りの橋台もそのままである。
そのガーダーには「昭和4年・汽車製造株式会社製作・鉄道省」の貴重な銘板が付いている。
進んで行くとかつての春志内信号場跡となるが、開けたその場所は現在サイクリングロードの休憩場となっている。
そこから神居古潭に向かうとすぐに旧春志内隧道があるが、ここも大正から昭和にかけて廃棄された旧々線がある。
左側藪に旧々線はあり、写真はその掘割部分。現在でもその空間が残る。
旧春志内隧道も補修され、サイクリングロードのトンネルとして利用されている。
ポータル横に残された表記。かすれながらも現役当時に書かれたものが残っていると思われる。
擁壁に「旭川サイクリングロード」と看板が掲げられているのが2ヶ所ほどあるが、写真の部分を確認出来る石狩川対岸の国道12号線も付け替えられ、現在は廃道となってしまっている。
サイクリングロードとして利用されている橋梁に並んで、古いレンガの橋台が残っている箇所を発見した。前後のスペースから見ても、複線だったとは考えにくく、何らかの事情(曲線緩和など)で廃棄された旧々線の部分と思われる。付け替えられたと思われる新しいほうの橋台もレンガなので、早い時期(明治?)に行われたようだ。
その廃棄された橋台。
その先に残る橋梁も塗り替えられたようだが、そこに残る銘板は明確に読み取ることができ、なんと「明治42年製造」となっている。こちらの橋台はコンクリートで補修されている。
そこに付けられた明治の貴重な銘板。
サイクリングロードには今でもいたる所に、かなりの数のハエタタキが残っている。
神居古潭駅間近の場所に、サイクリングロードとして整備され35年以上も経っているにも関わらず、奇跡的にキロポストが横たわって残っていた。
近影。引き抜かれたのは最近だろうか。
その傍らには信号機?の基礎のようなものもあった。
神居古潭駅跡が近づき、サイクリングロードの空間も開けてくる。幾本ものレールが敷設されていたと思われる証拠や、駅付近の保線小屋やトイレの基礎が確認できる。
そしていよいよ旧神居古潭駅跡である。
ここには駅舎(現在旭川郷土博物館分館)やホームが残され、整備され保存されている。
構内には3両のSLが静態保存され、SL手前にはレンガの橋台も綺麗に残されたままだ。
SL手前に残る美しいレンガ橋台。
多くの人が訪れる場所だが、これをじっくりと観察している人は少ない。
上から撮影。
3線分の橋台が残っているが、そのうちサイクリングロードの橋梁に転用されたのは中央の1つだけである。この橋梁にも銘板(日本国有鉄道・函館ドック株式会社製作・昭和29年)や塗装表記が残っている。
その銘板。
と、塗装表記。
SLの奥にトンネルが残されているが、手前の防護柵には速度標識が残っている。
当時のままの重厚なトンネルポータルの神居古潭隧道(第一隧道)。現在は内部のレンガが一部崩壊し、長らく通行止めになっている(写真撮影時は、とある理由により柵が開放されていた、普段は通行不可)。
内部納内方の崩落するレンガを防護する網には、幾つもの落ちたレンガが確認できる。このままでは通行止解除も先のようだ。
納内方から神居古潭隧道へと続く景色、ここをかつてはキハ82系の特急も走っていたとは。
神居古潭隧道から納内方で唯一残る橋梁
トンネルを抜け2キロほど進むとサイクリングロードは終わる。その途中で旧線は現在線と合流してるがその場所は判然としない。
神居古潭のきっぷ
参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くU」、ヴィークルグラフイック「廃線跡懐想」



国鉄線一覧へ戻る 私鉄線一覧へ その他の廃線へ
Homeへ

Something About Railways since2005




inserted by FC2 system