渚滑線 渚滑〜北見滝ノ上


北見滝ノ上―濁川―雄鎮内仮乗降場―滝ノ下―奥東仮乗降場―上渚滑―上東仮乗降場―中渚滑―十六号線仮乗降場―下渚滑―元西仮乗降場―渚滑

渚滑線は、名寄本線(廃止)渚滑駅から分岐し、内陸部に入った滝上までの34.3キロの路線であった。当初は渚滑原野の資源開発を目的に建設促進運動が行われていたが、その後名寄本線を滝上を通過させるというルート変更運動などの紆余曲折を経て、結局大正12年に渚滑〜北見滝ノ上として開通した。予定線として、石北本線上川駅までの延伸が計画されてもいた。しかし第2次廃止対象路線に選ばれていたため、昭和60年3月31日限りで廃止された。
今回は北見滝ノ上側から廃線跡を調査してみた。




北見滝ノ上駅舎は、元の位置からは駅裏山側へ移動されているようだが、現在でも鉄道資料館として保存されている。資料館裏には小さなDLも展示されている。かつての駅舎は向かい側にある、ロータリーの辺りにあったようだ。

北見滝ノ上駅を渚滑駅方へ向かって行くとすぐに線路跡は廃止後新設された道路に取り込まれてしまっている。

渚滑線は何度か渚滑川を渡っていたが、北見滝ノ上から最初の橋梁は「虹の橋」という立派な橋に付け替えられた。

鉄道の橋脚と思われるものが、新しい橋脚のコンクリートにの中に確認することが出来る。

「虹の橋」から先の路盤跡は駐車場に利用されている。

その先はレストランの駐車スペースになっている。

その駐車スペースを出ると支流を渡る橋梁があったが、併走する道路拡幅により消滅してしまったようだ。

その傍らには国鉄境界石が残っていた。

そしてその先で国道と交差し山裾を通過し濁川へ向かっていた。山裾の遊歩道が廃線跡ではないだろうか。

その先の路盤跡には立派な道の駅「香りの里たきのうえ」が建てられた。

「道の駅」から濁川駅跡へと向かう廃線跡は、笹薮となった築堤が続いている。

そして濁川駅跡である。貯木場のあった広い構内は現在パークゴルフ場に変わり、駅舎はパークゴルフ場の休憩室として現在も当時のまま残されている。この駅からは貯木場へと続く専用線が分岐していたようだが、その痕跡も判然としない。

濁川駅からパークゴルフ場を抜けると一部住宅が建ってしまってはいるが、廃線跡は未舗装の道路として続いていく。

そこから先、国道の鎮橋と平行して渚滑川を渡っていたが、渚滑方の橋台・橋脚の一部を残して撤去されてしまっている。橋台の上部には今でも数本の枕木が残り、傍らには標識も立ったままだ。

橋を渡りきると農道と交差していた。線路跡部分の舗装がはっきりと確認できる。またここから先の築堤は、その殆どが農地や牧草地に変わり、廃線跡を追って行くことは困難になる。

その先に雄鎮内乗降場があったが、乗降場部分と交差していた未舗装の道路も舗装拡幅され、駅跡付近は農地になり全くわからなくなっている(写真右手に板張りの乗降場があったと思われる)。

少し行くとコンクリート製の暗渠が残っていたが、ここも前後の築堤は見当たらない。暗渠には銘板や標識が残っている。

農地を抜け国道と交差すると滝ノ下駅跡となる。駅前の集落にはほとんど人が住んでいないようで、駅前商店も廃業してどれほど経つのか。
滝ノ下駅は倉庫として利用されているのかプレハブの駅舎やホームが残っている。しかしホームからの景色は農地が見えるだけで、そこに鉄道があったとは思えない。

滝ノ下駅を出ると、渚滑川支流を渡っていた橋梁の背の高い橋台が国道からもはっきりと確認できる。

この付近からは幾つもの小さな橋梁の橋台だけが、畑や牧草地の中に忘れ去られたように残されている。

「小稲川橋梁」だったのだろうか。

写真のように築堤は完全に撤去され確認することは出来ない。

奥東仮乗降場手前に、水も枯れたような小川に残る橋台。

橋台上部に何か書かれていたようだが、風化して判読に苦しむ。

奥東仮乗降場跡。
未舗装道路の脇、林の前辺りにあったと思われる。

ここから大きな橋梁で再び渚滑川を渡っていたようだが、前後の築堤共々全て撤去されている。写真中央にわずかながら橋を渡る手前の築堤らしき痕跡がある。

橋台・橋脚跡は全く確認できなかった。

渚滑川方も築堤は残ってはいないが、その線路跡部分には木が育ってはいないようだ(写真中央奥から手前を通過していた)。

そこから上渚滑駅に向かう線路跡もやはり全く痕跡は留めていない。

上渚滑駅付近にくると草生した築堤が現れる。

信号柱?が残っていた。

廃止前は唯一の交換可能駅だった上渚滑駅跡は現在交通公園として整備されてはいるが、ホームなどは全く違う位置に新たに設置され、往時を想像できるような状態ではないと思われた。

上渚滑駅から次の上東仮乗降場跡までにも数箇所に残る橋台が確認出来る。

上東仮乗降場跡直前に残る橋台。

上東仮乗降場跡部分は取り残されたかのように笹薮となった築堤がある。

その先に残る橋台上にはパチンコ店の広告が設置されていた。

玉取川を渡る橋台も両方残っている。

二十五線川に残る橋台。

次の駅中渚滑は国道から少し入った所にあった。数件の民家があったと思われる駅前通りには、現在1軒の民家が残るだけで、途中から藪化した道路の先に駅があったとはとても思えない。

民家から先の駅前通り跡、全く駅前の通りとは思えない。

次に十六号線仮乗降場があったが、国道から駅跡へと向かう入り口に、駅接近標が移設されている。

ここも前後の築堤もなく、今となっては駅があった位置を確定するのは困難だ。

付近に積まれているのはハエタタキだろうか。

ご覧のように所々に残る橋台の前後は完全に牧草地や畑にされている。

駅前に喫茶店もあったという下渚滑駅は砂利砕石場になっている。プレハブの駅舎は元の位置から移動され、砂利会社の休憩室として利用されているようだ。

少し改造されてはいるが、見慣れた形のプレハブの駅舎が残っていた。

全く線路跡を確認出来ないまま進んでいくと、次の元西仮乗降場跡に着く。ここも駅入り口に接近標が移設されている。

写真中央の位置、未舗装道路の左側に乗降場はあったようだ。

その先線路跡は林へと消える。林の中を確認するとハエタタキが残っていた。それにしても周りは全くの林状態で、どこを通過していたのか不思議である。

昭和十六年とも読める。

かつて全国で唯一校内に線路が通っていたという渚滑小・中学校の校門を入るとすぐ線路が復元されていた。踏切や腕木式信号機も設置されている。

渚滑小・中学校先の路盤跡、ここから渚滑駅跡まではほぼ路盤の跡は残っているようだ。

名寄本線との分岐点、渚滑線は写真中央から右へ、名寄本線は写真中央から撮影者の後方へと向かっていた。

渚滑駅直前の路盤、前方彼方に機関庫だった建物が見えてきている。

現在の渚滑駅跡には紋別市渚滑高齢者ふれあいセンターが建ち、駅構内だった場所は渚滑パークゴルフ場になってしまった。

廃止後10年以上バス待合室にも使用され残されていた駅舎は現在跡形もないが、ここには当時の駅施設、機関庫や倉庫・危険品庫が、パークゴルフ場になった今も解体されずに残っている。


参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くX」、小学館「国鉄全線各駅停車@北海道690駅
参考サイト:「塚本雅浩のサイト



国鉄線一覧へ戻る     私鉄線一覧へ    その他の廃線一覧へ

Homeへ戻る

Something About Railways since2005

inserted by FC2 system