森林鉄道


大正から昭和にかけ、道内の国有林では官行斫伐事業が施業され、森林鉄道の敷設により材木の大量輸送が可能となった。道内の到る所に敷設された森林鉄道ではあったが、現在はその全てが廃止・撤去され、山中にひっそりとその遺構が残るのみとなっている。
ここでは、廃線調査の途中などで確認した森林鉄道の痕跡を紹介したいと思います。

芦別森林鉄道
昭和6年に着工され、根室本線上芦別駅隣接の駅上場から奥芦別御料地まで(途中三菱鉱業の廃線を一部利用して)が昭和9年に完成した。その後6つの支線が建設され、総延長72kmに達し道内営林署では最長を誇ったが、急速に発達した自動車輸送に変わられ、昭和36年廃止された。
上芦別駅裏手の貯木場跡から駅を眺める。 沢山の線路が敷かれていた貯木場跡には木造やレンガの倉庫が残っている。 「林野廰」である。 構内跡。
当時からのレンガの建物。 貯木場を出ると未舗装道路の左手に線路跡部分の敷地が残っている。 そのまま国道38号線を渡り、奥芦別へと向かう。 すぐに「危険につき立入禁止」となる。
立入禁止のため住宅裏の築堤を横から望む。 そして町道に取り込まれる。 少し進むとまた山すそに築堤が現れる。 築堤。
林の間を抜け、今にも鉄道が走って来るような雰囲気である。 線路跡は東頼城地域では判然としなくなる。 森林鉄道沿いに残る三菱鉱業のものと思われる何かの遺構。 廃道となった道路橋の上流側に、六線沢川を渡っていた橋梁の遺構が残っているようだが発見できなかった。
六線沢川を渡り緑泉の病院や炭住裏を抜けていたが現在はその全てが残っていない。 そして頼城地域へ向かっていた。 頼城小学校跡前を通過していた森林鉄道。 頼城の炭住の中を通過していた。ここも住宅も全て撤去されている。
線路跡は三井芦別鉄道の頼城駅構内に向かう。 いまも石炭が残る頼城駅構内。ここから先は国道沿いに橋台や橋脚が各所に残っている。 山中に見える橋脚。 同左。
国道七夜橋横のコンクリート橋台と橋脚。 橋脚。 上芦別側。 惣顔真布支線の橋脚。
惣顔真布支線の橋台と橋脚。 橋脚。 第2芦別川横断橋梁左岸の橋台。 右岸側。
参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩く\」、空知地方史研究協議会「空知の鉄道と開拓」



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