夕張線登川支線 紅葉山〜登川


紅葉山―楓―登川

現在道央と道東を結ぶ石勝線の支線となった夕張線であるが、昭和56年までは追分駅から夕張駅へと夕張線があり、その支線として紅葉山駅から分岐して登川駅へと向かった路線があった。石勝線開業にともない、紅葉山〜登川間は廃止され、紅葉山駅は駅舎も移設され新夕張駅へとなった。

高い位置に移設した新夕張駅舎と、以前の紅葉山駅構内(駐車場や広場となった)。新夕張駅前には旧紅葉山駅名標も残る。
紅葉山駅を登川方に向かうとすぐ、夕張駅方向と登川方向に分岐していた。分岐部分はかなり土が盛られ、新しい道路が造成されている最中だった。
その先夕張方は石勝線をくぐり、
夕張川を渡っていた鉄橋は完全に撤去され、7部通り踏切で合流していた。
登川方の分岐点は道路改良のため判然としなくなっている。国道452号を渡り進むと夕張川橋梁があったが撤去され右岸にレンガ橋台のみ残っている。
ホルカクルキ川を渡っていた橋のコンクリートの橋台は両側とも残っている。
その先廃線跡は農道へ転用されてしまっている。
そして農道と分かれた廃線跡は左側に勾配を上げながら離れ、林道のようになり大変歩きやすい。
廃線跡は、第一久留喜川橋梁へ向かう。現在は撤去され、両岸のレンガ橋台のみ残っている(紅葉山側)。
登川側(下部のみ現存)。
国道に取り込まれるまで300メートルほど路盤跡が残る。
そして廃線跡は国道274号線に取り込まれ、2代目楓駅跡に向かう。駅直前にもホルカクルキ川を渡っていたが、国道の橋へと変わった。
2代目(初代はスイッチバック駅、3代目は石勝線に移動後平成16年3月に廃止)楓駅跡も国道に変化しているが、わずかながら駅跡付近の敷地が残っている。
スイッチバック駅だった初代楓駅手前に擁壁が残っている。
スイッチバックの分岐部分、右側国道が登川方、左側初代駅(現在空き地)。
スイッチバック駅だった初代楓駅跡付近には、旧北炭楓鉱事務所や坑口跡が残っている。
登川橋梁も国道に取り込まれてしまった。
国道から左に別れ廃線跡に沿った市道を進むと、滝沢川に橋台が残っている。
線路沿いの学校や立ち並んでいた炭住は今はほとんど残っていない。廃線跡だけは市道に沿って左側を築堤となって続いていく。
終点の登川駅跡は、炭鉱施設の一部分ひとつが残るだけで、廃止後残っていたホーム跡も今では全く痕跡をとどめていない(駅跡)。
構内、ホーム跡、炭鉱施設の一部。
なお、紅葉山駅跡から十三里駅側には旧線と大正時代に廃止され、道路トンネルとして利用されていた旧紅葉山トンネルが残っている。
参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩く[」、堀淳一著「地図のイメージ紀行」



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