三井鉱山奈井江専用鉄道 三井奈井江〜東奈井江


三井奈井江―向ヶ丘―桜ヶ丘―白山―東奈井江

昭和22年、三井鉱山砂川鉱業所が奈井江白山鉱を開発、採掘した石炭を国鉄奈井江駅まで輸送することを目的に白山駅までの6.4kmに専用鉄道を建設。その後昭和26年に白山より奥の東奈井江まで3.5kmが延長された。その後、沿線住宅街の拡大により、従業員やその家族の輸送のため桜ヶ丘(昭和25年)と向ヶ丘(昭和27年)乗降場を開設した。 昭和41年12月、三井奈井江鉱は閉山した。エネルギー革命もあったが、自然条件の悪化に炭質も悪く経済的に採掘が困難になったという。鉄道は昭和42年、旅客営業を廃止、翌年貨物輸送を止め一切の営業が終了となった。現在は向ヶ丘地区に少しの集落がある他は、全くの無人地帯となっている。



現在も駅裏のスペースを貯炭場として利用されていると思われるJR奈井江駅。 奈井江駅から430m北寄りに三井奈井江駅はあった。線路右側の空間、架線柱の幅が違う。 駅を出ると、しばらくの間函館本線と併走していた。現在未舗装道路として残る。 右に函館本線と別れ農地を横切っていたが現在田畑になっている。灌漑用水路を渡った部分の築堤の一部だけが少しだけ取り残されたようにあった。
その灌漑用水路を渡っていた部分には橋台の一部?なのか崩れたコンクリートが両端に残っていた。 奈井江駅側を振り返ると路盤跡全く残ってはいない。 道央自動車道をくぐると向ヶ丘の集落があり、今ではひっそりとしているが、商店が並び現在も営業中ではある。 向ヶ丘駅跡入口。
広い空き地として残る向ヶ丘駅構内。 そこから明確な路盤跡は現れるが、ほぼ笹藪となっている。 かつての三井奈井江中学校跡は「ないえ温泉」となっている。その向かい側に、コンクリートアーチの間に鋼板桁の第一奈江川橋梁が残っている。 その先は現在上砂川へ抜ける車が時折通るだけの寂しい場所となっている。桜ヶ丘の炭住等の立ち並んでいた集落には、住宅や学校の基礎、廃道が確認できる。
桜ヶ丘駅へ向かう道。 桜ヶ丘駅付近に残る築堤。そこから白山駅まで築堤は続いていく。 白山へ続く路盤跡。この付近は線路工事時に熊の出没に悩まされたという。現在も単独での行動は危険である。 機関区があったという白山駅への入り口。
雪が解けるとこような感じで、スタックにご注意を。 白山駅は当時機関区も置かれ中心的な存在だったが、現在は広い空間に何かの基礎が残る程度である。 このような何かの基礎が確認できた。 白山跡から終点東奈井江へ続く線路跡は、道々からは川の対岸にあり単独調査は困難だった。東奈井江付近に来ると、線路跡は道路に近づきハエタタキが所々に確認できる。
道々の上砂川との分岐点に「東奈井江800m・上砂川7km」の消えかけた標識が残っていた。 道々から分岐した未舗装道路を東奈井江方に進むと左手に第二奈江川橋梁が見えてくる。こちらもガーダーが全て残っている。 山の中を進んで行き、東奈井江駅跡直前の人工物(道路擁壁)を見ると、何も無いこの場所に生活があったのかと思わせる。 終点東奈井江駅構内と炭鉱跡は、山間にその空間が残るだけである。
参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩く[」、空知地方史研究協議会「空知の鉄道と開拓」



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