羽幌炭鉱鉄道 築別〜築別炭鉱


築別―五線―七線沢―上築別―曙光―曙―桜ヶ丘―古賀町―築別炭鉱

明治時代から苫前炭田と呼ばれていた一帯では小規模な採炭が行われていたが、昭和14年日中戦争による石炭増産による国策を背景に、築別炭鉱の開発を始める。炭鉱開発には搬出用の鉄道敷設が不可欠であり、この時羽幌炭鉱鉄道設立、同時に鉄道建設も始まった。時は戦時、物資不足のため四国や九州で探したスクラップ同然の橋桁を集めて建設、タコ部屋労働とも言われた過酷な労働で着工後わずか一年後の昭和16年12月に鉄道は完成した。その後、他の産炭地と同じようにエネルギー革命による石炭産業の衰退で、昭和45年12月15日炭鉱閉山と同時に廃止となった。

羽幌炭鉱鉄道は、国鉄羽幌線築別駅から分岐していた。その羽幌線も昭和62年に廃止され、現在築別駅は草生した空き地にホームの一部と、駅前商店が残る程度である。
ホームにはレールも残り、その先に何本ものハエたたきが積まれ、枕木も付近に積まれていた。
築別駅を出ると国鉄羽幌線と並走し、道々356号線と交差していた。踏切は撤去されてなにも残ってはいない。
羽幌線の左側を走っていた線路は、すぐに左側に大きく進路を変えていた。
最初の停車場五線との間に、水田への用水路や小川を渡る橋梁が5つ連続して残っている。
1つ目は橋桁の上に朽ちた枕木も残っているが、橋台は土台の築堤がえぐられて今にも崩れそうである。
そこからはっきりとした線路跡が田畑の横に続いていく。
2つ目の橋梁はガーダーもきれいに残っている。
その先一部車両が走れる状態となるが、3つ目の橋梁手前から線路跡脇に分かれる。
3つ目の小さな橋梁の下には水路がなく、ガーダーも取り外されてすぐ横築堤に捨てられていた。外されたガーダーの間には木が育っていた。
4つ目もガーダーが残ってはいるが、翼壁は崩れ落ちそうだ。
5つ目の橋梁もガーダーが外されていたが、少し離れた場所に放置されていた。
用水路沿いに未舗装道路となった廃線跡を進むと五線の乗降場あとである。
そのまま未舗装道路は続き交換設備のあった七線沢駅跡である。用水路の改修で河川の築堤になってしまっているが、かたわらには当時の倉庫だと言う小屋が残っている。
さらに未舗装道路となった廃線跡は続くが、少しずつ山裾を登り林道へと変わる。
林道から離れ、笹や蕗の生い茂る藪化した線路跡はやがて上築別駅跡に着く。駅跡は草生しなにも残ってはいない。
そこから先は笹藪化して進めなくなる。廃線跡は何度も築別川を渡るが、見所の一つの橋梁群の最初,、第一築別川橋梁辺りから廃線跡は道々に近づき追うことが出来る。
その後、連続して二つの橋梁が曙駅手前までにある。第二築別川橋梁は、道々からも完全にガーダーの規格違いがわかるほどである。
第三築別川橋梁には5本の橋脚が立っているが、それぞれのスパンと形状の違いが、物資不足で寄せ集められた橋桁というのを証明している。
曙駅手前に信号の基礎が残っている。
かつて国鉄名羽線(未成線)が分岐し、その路線の羽幌本坑までを借使用していた曙駅であったが、現在は駅舎の基礎とホーム跡、駅前の集落に数件の民家と廃校が残るのみである。
曙駅を出ると名羽線は真直ぐ羽幌本坑の方へ進み、羽幌炭鉱鉄道線は左にカーブして築別炭鉱へ進んでいた。分岐点には信号基礎が二つ残っている。
道々と交差した踏切跡にはレールで出来た何か?があった。すぐに倉庫が立ち、その先は畑に変わり第四築別川橋梁まで築堤部分は消滅している。そこまでの間に幾らかの遺構は残る。
小川を渡るミニ橋梁には、Iビームが残ったままである。
その先の橋梁にもガーダーが。
そして掘割、直ぐ先の踏切跡。踏切を過ぎると、桜ヶ丘の乗降所があったが、痕跡は無い。
水田の用水路のミニガーダー。
コンクリートアーチの橋梁も残っていた。
第四築別川橋梁は均等な形のガーダーが残っている。
すぐに第五築別川橋梁で築別川を渡っていた。橋梁上には板が張ってあり、誰かが渡っているかのようだが、とても渡る気にはならない。
そしてすぐ道々と交差し、左側を築堤となって続いていく。古賀町駅手前にはコンクリート暗渠があるが、完全に崩壊し始めている。
ここからかつて炭住が立ち並び何千人もの人々が生活していた地区に入る。現在は無人の荒野に幾つかのコンクリートの残骸や、廃校、アパート廃墟群がのこるだけとなっている。古賀町駅跡にも何も痕跡は無い。
古賀町駅前には円形ドーム体育館が特徴的な太陽小学校跡が残っている。閉山後「羽幌緑の村」という施設として使われていたが、それも今は止めてしまったようである。
線路跡は石炭積み出し施設のホッパなどが残る部分を通り、終点築別炭鉱駅に向かって行く。
築別炭鉱駅跡は広い荒野が残るだけである。
すっかり寂しくなった築別炭鉱の街跡には、道路改良で半分になった病院跡、廃アパート群や建物の廃墟が残るのみである。
羽幌町勤労青年ホームに保存されているハチロク。
羽幌町郷土資料館に展示されている羽幌炭鉱鉄道関係の品々。
旭川から曙行きの羽幌炭鉱鉄道最終日の切符。
参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くW」、ネコパブリッシング「消えた轍1北海道」



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