旭川電気軌道 旭川四条〜東川・旭山公園


旭川四条−旭川追分− (東川線)二号線−千代田−下四号線−観音−坂ノ上−旭正−上旭正−上七号線−十号−西九号−西川−西六号−東川学校前−東川
(東旭川線)竜谷学園前−墓地前−愛宕−一丁目−二丁目−役場前−四丁目−五丁目−旭山公園

日本最北端の路面電車・電車軌道であり、電車が貨物を牽引し道路を走るという非常に変わった鉄道であった旭川電気軌道。その歴史は昭和2年2月14日に旭川追分より東川まで開通し、この日をもって正式な開業を始め、その年の12月には旭川四条まで線路延長がなされ東川線13キロが全通した。旭山公園までの東旭川線は昭和5年6月に開通している。しかし貨物輸送や住民の足となってはいたが、自家用車の普及により住民から電車の軌道撤去運動をされてしまい昭和47年には市長からの廃止要求まで出され、その年末をもって46年の歴史に幕を下ろした。
現在旭川電気軌道はバス会社となり、食料品等のストアーも運営している。



本社事務所や倉庫があった旭川四条駅構内跡は、現在JR旭川四条駅に隣接した地元スーパーの駐車場になった。
線路があった道路のセンター部分にはそのスペースが残っているように感じられる。
旭川四条駅を出て1キロほど走ると、道路からはずれて右方向に向かった(写真右側3階建て建物の辺りを通っていたようだ。。
基北川を渡り中学校のフェンス沿いに旭川追分を目指し走っていた。ここにも数年前まで川を渡るガーダーが残っていたそうだ。
学校のフェンス沿いに舗装道路になった廃線跡がわかる(旭川四条方を振り返って)。
そして旭川追分駅跡に近づく。旭川追分駅には車庫があり、廃止後は電気軌道のバスの車庫としてしばらく使用されていたが、ここも直営のスパーが建てられた。なおこの店舗は平成17年9月いっぱいで休業しているダイエーと併設されていた。
このダイエーの駐車場部分が駅の構内だった。写真中央の木がある辺りに追分駅の駅舎があった。
旭川には旭川追分という地名は無いが、駅跡前のバス停は今でも「旭川追分」となったままだ。
この追分駅で東川線と東旭川線が分岐してた。東川線はこの道路を真直ぐ進み、東旭川線は現在廃線跡に建設されたパチンコ店の方に(道路左側の看板の辺り)分岐していた。
パチンコ店裏に残る小股川を渡るガーダー。
各駅・停留所の跡は、市街地でもあり道路拡幅により殆ど痕跡は留めていない。
なお、東旭川小学校裏の公民館敷地にモハ1001が静態保存されている。
東川線は穀倉地帯を抜ける道路わきを東川へと走っていた。こちらの路線も道路整備により廃線跡の痕跡は見当たらないが、所々の駅跡にはレンガ倉庫がなど残っており、そこに駅があったことを伝えている。
東川学校前を過ぎると線路は道路から左に離れ、住宅や倉庫群の間へと入り終点の東川駅へ向かった(消防署のある辺りに向かって行った)。
消防署の裏には現在でもレンガや木造倉庫が何棟か残っている(東川駅跡方から振り返って)。
東川駅跡の倉庫群が見えてくる。
そして東川線終点の東川駅跡。
旧東川町役場を利用した郷土資料館内にも、モハ101が保存されている。
参考文献:JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くV」、ネコパブリッシング「消えた轍1北海道」




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